2016年2月25日木曜日

時計メーカーの歴史【Elgin編】

Ⅰ.はじめに

 Walthamと並び、時計マニアにとって最も馴染み深いアメリカ時計メーカーはElginであろう。ElginはWalthamと同時期にアメリカ時計産業を牽引していたリーディングカンパニーであるが、両社の歴史を比較すると、歴史的類似性を見出すことができる。すなわち、両社は共に、アメリカン・システムといわれる共通の生産システムによって北米大陸を時計大量生産の一大拠点へと変える偉業を成し遂げながらも、第二次世界大戦後に時計産業の変容に適応することが出来ぬままに破産する末路を辿っているのである。
 図1は1907年頃のElginの広告である。商品カタログ請求用のフォームが付いているなど、妙に現代臭さのある広告となっている。図1に写っている紳士は、Elginの時計の取扱量が当時世界最大であった商社の社長である。

図1:「Popular Mechanics(1907年)」より

 

Ⅱ.歴史

(1)前史
 アメリカ大陸における時計の製造は英国植民地時代にまで遡ることができる。ヨーロッパから移住してきた時計師が時計製造を始めたことがアメリカ時計産業の源流なのである。しかし、当時の時計製造の工程は手作業に大きく依存するものであり、時計を大量生産するためには多数の時計職人が必要であった。時計製造後発国であったアメリカが大量の時計職人を確保できる筈も無く、時計製造の中心地はヨーロッパ、特にスイスとイギリスであった。

(2)National Watch Company
 Elginは1人の起業家が興した会社ではなく、複数人が結束して設立した会社である。Elginの設立から発展期に顕著な実績を残したのは、J・C・アダムス、P・S・バートレット、D・G・クーリエ、オーチス・ホイット、チャールズ・H・メイソンといった人物達であった。彼らに加えて、シカゴ市長のベンジャミン・W・レイモンドもElginの設立に関与している。図1は1888年に出版されたThe Watch Factories of Americaに掲載されていたJ・C・アダムスの肖像画である。紳士然とした風貌である。

図2:「The Watch Factories of America(1888年)」より

 1864年、J・C・アダムスの時計メーカー設立の計画に対してシカゴ市長のベンジャミン・W・レイモンドが出資を決意する。これによって10万ドルを得たジョン・C・アダムスは、この資金を活用して、シカゴから北へ30km程の位地に時計工場が建設する(この土地は地元の名士から工場用として寄贈されたものであったらしい)。さらに同時期、Walthamから離脱した時計技術者であるD・G・クーリエを雇い入れ、Walthamが成功を収めつつあった生産システムのノウハウを獲得する。
 1865年の時点におけるNational Watch Companyの人事は、社長がベンジャミン・W・レイモンド、副社長がフィロー・カーペンター、財務責任者がトーマス・S・ディッカーソン、秘書がジオ・M・ウィラーという布陣であった。
 1867年には初のムーブメント(後にB.W.Raymondと名付けられる)を市場へ投入するに至る。

(3)Elgin National Watch Company
 時計製造を続けるにつれて、National Watch Companyという社名よりも、「Elgin Watches」や「Watch from Elgin」といった愛称の方が時計市場において高い認知度を博する様になった。そこで、1874年にNational Watch Companyの大株主達がシカゴに終結して社名変更の是非を検討した結果、Elgin National Watch Companyへの社名変更が決定された。図2は1873年に出版されたIndustrial Exposition of Chicagoの一部であるが、National Watch CompanyからElgin National Watch Companyへの社名変更の直前期に出版された同書からは如何に「Elgin」の愛称が如何に普及していたかを感じ取ることができるだろう。

 
図2:「Industrial Exposition of Chicago(1873年)」より

 1874年の社名変更の頃にElgin National Watch Companyの市場シェアは30%を超えるに至る。そこで、更なる市場シェア拡大を目指して、1876年にElginは時計の価格を40%から55%程度に渡って引き下げることを発表した。更に、7種類のムーブメントは40ドルで販売されることとなった。これは驚異的な値下げであった。これによって、アメリカへと輸入されるヨーロッパ製の時計のシェアは急落していくこととなった。とはいえ、Elginの発表は、Walthamが大幅な値下げを発表するという思わぬ影響をもたらし、アメリカ時計メーカー間の競争は更に苛烈化していくこととなった。
 1877年には初のニッケル製ムーブメントを市場へと投入する。1883年の4月5日、Elginの設立を資金面から支えた恩人であるシカゴ市長のベンジャミン・W・レイモンドが死没する。
 1888年にはElginのムーブメント生産能力は週7500個にまで達する。時期的にもう少し後になるが、1894年に出版されたGood Housekeepingの一部が図3である。図3のオファーリストを拡大すると、「Waltham or Elgin」という表記が非常に多いことに気が付く。アメリカ市場における両社のシェアの大きさを感じ取ることができるだろう。

図3:「Good Housekeeping(1894年)」より

 1910年には時間の精度を向上させるために天文台の建設を決定し、本社と同じイリノイ州エルジンにElgin National Watch Company Observatoryを建設した。
 1917年、アメリカは第一次世界大戦への参戦を決断する。ヨーロッパへと送り込まれたアメリカ陸軍は連合国側として戦うこととなったが、そこには350名以上のElginの技術者達が同行していた。戦地において彼等は高い技術力を要する修理作業に従事してアメリカの戦争遂行を支えた。
 1936年に第二次世界大戦が開戦すると、Elgin National Watch Companyは他のアメリカ時計メーカーと同じく、民需向け時計の製造を停止し、軍需向け時計の製造に力を注ぐ。時計以外にも、観測装置や航空機器や野砲の部品であるベアリングを製造してアメリカの戦争遂行を支えていた。
 第二次世界大戦後、他のアメリカ時計メーカーと同じくElginの経営は悪化の道を辿った。Elgin National Watch Companyの戦争遂行に対する献身的努力が、皮肉にも自らの首を絞める結果を生じさせたのである。第二次世界大戦中に需要が急拡大した軍用時計の生産を支えていたElgin National Watch Companyは、軍用時計の生産ラインを民需向け時計の生産ラインへ切り替えることに失敗した。そのうえ、民需向け時計の製造をElgin National Watch Companyが停止している間を突いてスイス時計メーカーがアメリカ時計市場におけるシェアを急拡大していたのである。また、後にTimexと改名するUnited States Time Corporationが安価な時計の生産を開始したことで、消費者の時計に対する考え方は「修理して使い続けるよりも買い換えた方がよい」価値観へと変化しつつあり、それまでElgin National Watch Companyの顧客層であった「高価で高品質な時計を修理して大切に使い続ける消費者」は減少していた。

(4)Elgin National Industries
 1949年の先輩格であったWalthamは破産したが、Elgin National Watch Companyはアメリカ産業に吹き荒れた逆風に抗い続けた。時計事業以外の分野への進出も図るなど、第二次世界大戦から間も無く破産したWalthamよりも企業体力は温存されていた様である。しかし、今一歩、力は及ばず、1968年に時計製造を終了する。その後、建設会社を統合したElgin National Industriesが設立されるも、時計部門と商標は別会社に売却された模様である
 この時期に何があったのかについて調べてみたものの、不明な点が極めて多い。時計部門と商標を含めた資産が一括して何処かの時計メーカーに譲渡されたことまでしか把握できなかった。

Ⅲ.おわりに

Elginの歴史には、Walthamの歴史との共通点が少なくない。同時期にアメリカ時計産業を牽引していた両社の歴史をパラレルに理解することが、ElginとWalthamの社史理解およびアメリカ時計産業史の把握の近道となる。
 Elginの歴史は、「①Walthamの後発として誕生してその生産システムに習ったこと、②一時期はWalthamをも凌駕する生産力を誇ったこと」の2点によって彩られているといえるだろう。Walthamよりも後発でありながら、アーロン・ラフキン・デニソンとWalthamが編み出したアメリカン・システムによる時計製造を完成型へと至らしめた功労者がElginなのである。
 余談であるが、歴史を調べている限りでは、Walthamからはアーロン・ラフキン・デニソンやロイヤル・E・ロビンスといったカリスマによって経営がなされていた印象を受ける一方で、ElginからはJ・C・アダムスやベンジャミン・W・レイモンドやオーチス・ホイットといった面々による協議体によって経営がなされていた印象を受けたことを最後に付言しておく。

Ⅳ.参考文献

(1)書籍
・Henry G. Abbott『The Watch Factories of America(1888年)』
・Albert Sidney Bolles『Industrial History of the United States(1878年)』
・James Nowlan『Industrial Exposition of Chicago(1873年)

(2)ウェブサイト
・『Elgin』
 http://www.thewatchguy.com/pages/ELGIN.html
・『Elgin National Watch Company』
 http://www.elginnumbers.com/